ぐっさんルーム

30代独身男性が語る車と写真とその他いろいろ

sakura drive 2021

今日は朝から良い天気でした。まさに春の陽気。 絶好のドライブ日和ですが、あいにく車は花粉と黄砂と雨で泥だらけ。 しかしまたすぐに雨が降る予報なので洗車する気が起きません。 結局、ドロドロのまま車を走らせ一人で近所の公園へ桜を見に行きました。

春はお花見

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sakura 1

公園ではベンチに座って桜を見上げている老夫婦や、桜の下にレジャーシートを広げてお弁当を食べながら楽しそうにおしゃべりしている家族などたくさんの人がいました。 その中をカメラ片手に一人で歩いていると、周りは騒がしいのに自分だけが時間が止まったかのように静かに感じられることがあります。 そういう時はたいてい寂しさを感じているんですよね。

その寂しさの原因が何なのか考えてみましたが、それはたぶん「一人でいるのが物足りない」ということだと思います。 私は基本的に一人でいるのが気楽な性分だと思っていますが、別に誰かといるのが嫌いなわけじゃありません。 むしろ誰かといることの楽しさも知っているからこそ、周りがグループばかりのこの状況が、自分の孤独さを強調しているのでしょう。 だからこそ満たされていない自分に対して虚しさを感じてしまいます。

さらに桜が持つ儚い美しさも私が寂しさを感じる一因なのかもしれません。

桜は儚いからこそ美しい

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sakura 2

今満開の花をつけているこの桜もいつかは散ってしまう運命にあります。 その儚さが桜の美しさを際立たせているものですが、その儚さを満たされていない自分への虚しさと重ねてしまい、寂しさを増長させているのだと思います。

しかし別に桜が悪いわけじゃありません。 そもそもほかの人たちは桜を見てお花見を楽しんでいます。 対して私は勝手にセンチメンタルになっているだけです。

最近仕事で面倒なことが多く悩み事が尽きません。 プライベートでも良いことがありません。 だからちょっとばかり感傷的になっている自分に酔っているのでしょう。

おそらくこの感情も明日になればすっかりおさまって、またいつもの日々を過ごすでしょう。 でも今は自分の感情の赴くままに思いを言語化しています。ただの日記です。他人が見てもつまらないでしょう。 でもいいんです。今私は書きたいと思っているんですから。というか本当は単に「今日桜を見に行ってきました。」とだけ書くつもりだったのが、なぜか自分の考えていた以上に変な方向に行っているのが自分でも不思議です。

感情の言語化と文章を書く練習

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sakura CX-30

なんというか、ここまで書いて段々恥ずかしくなってきたので今すぐ消してしまいたい気持ちがふつふつと湧き上がってきました。 ですが、せっかくここまで書いたのに消してしまうのは勿体ない。 どうせこのブログはほとんど見られてないので公開したところで広大なネットの海に沈んでいくだけの代物です。 思い切って公開してみましょう。

そう、今回は文章を書く練習をしたと考えれば公開する必然性が出てきます。 ただ「ドライブして公園で桜を見た」だけだとなんの興味も湧かない、毒にも薬にもならない無味無臭の記事になってしまいますからね。 多少自分の感情をトッピングしてやったほうが書いてる自分としても書きやすいし、自分の感情を言語化する練習にもなります。

というわけで、今回は文章を書く練習記事なので面白味に欠けると思いますが、こんな記事に最後まで付き合ってくださりありがとうございます。 今後はより面白い記事を書けるように努力します。 これからも、たまにでいいのでこのブログのことを思い出してください。 そして思い出してまた見に来てくださったら嬉しいです。